ファイルのこと



「meeting」


昨年行ったいろいろについて、まとめの作業がいよいよ終わりそうです。しかし、まったく時間がかかりすぎてしまいました。


 教育学の研究者である市川秀之と、写真とテキストによって制作活動をする作家の藤村豪が、2008 年11月11日に市川氏が尾北看護専門学校で行う「教育学」の授業において、生徒も参加する形で「あの言葉の君の君はどこへ行ってしまったの?」という作品行為を発表しました。市川氏の呼びかけにより藤村があれこれ考え、それを再び市川氏と一緒に考え直すという作業を名古屋、東京で繰り返すことによって計画されたものです。
 それぞれの興味の交差するであろう場所。でも自分が知らない、もしかしたら自分の持ち物が全く役に立たないような、そのようなところで一体何が出来るのか。そのようにして二人が対峙したものが、本作品行為ではその核を為しています。
 私たちは毎日の生活の中で、絶えず目の前にいる相手に対して働きかけを行い、何かの判断をしています。その行為は純粋な正解が存在するような種類のものではありません。それが熟考の末のものだとしても、結果は相手のことを疎外する以外の何事でもない場合もあるでしょう。「あの言葉の君はどこへ行ってしまったの?」を行う中ではそのような状況が幾度となく繰り返されることになります。そこでは他者を目の前にしたときに私たちが拠り所とするその何かについて、その危うさや儚さ、そして暴力性が浮き彫りになります。しかし、そこからしか他者と向き合うことが出来ない私たちにとって、その危うさや儚さは顧みて改めるものというよりは、それでも引き受ける必要があるものです。作品行為の間、私たちはその拠り所の不確かさを実感しながらも目の前の相手に思いを馳せることになるはずです。



(ファイル「あの言葉の君はどこへ行ってしまったの?」冒頭より)<<