燈台/灯台へ

 V.ウルフ『燈台へ』(伊吹知勢訳、みすず書房)にはとても大切なことが書かれている。いまごろ『ドイツ・イデオロギー』を読んでいる彼や、五月に展示を控えている彼女、そして僕が去年いろんなところで考えていたことについて。自身との同一を求めるための対象としてではなく、自分ではない誰かに対して理解不可能性とともに向き合うこと、開き直りではなく当然引き受けるものとして、それぞれのその貧しい視界で互いを捉えあうこと。この作品を貫く、理解や把握についてのある種の内省の極北をして「内面の物語」という安易な言い方はしっくりこないような気がしている。


 並行して読んだ『灯台へ』(鴻巣友季子訳、河出世界文学全集)では、『燈台へ』でとても印象的であった第三部におけるリリーのある言葉が、ネガティヴな響きを持って表されていたのがとても印象的だった。しかし、翻訳を巡るそのような問題がすでに「貧しい視界で〜」ということと決して無関係ではない事柄であるはず。そこではやはり、象徴主義マラルメのことも頭の中を過ぎることになる。