深く迷い込むためには

 一車両分の長さが足りない駅のホームを横目に、隣り合う蕾が違う色の花を咲かしているのに感心したり、まるでミュンスターのアー湖の側の静かな道を思い出すような場所に迷い込んだり。でも、歩いていると何処へかちゃんと辿り着いてしまうから不思議なもので。辿り着けないことは難しいのかもしれません。今月は6日に月が丸く、20日に月がなくなってしまうそうです。明かりのない道ならばいつもより深く迷い込むことも出来るかも知れません。


 本が出入りする季節のようで。打ち合わせの時に僕の作品に近いと「藤冨保男詩集」を勧めてもらったので、「nano thought」を勧めてみました。「Antinomies of Art and Culture: Modernity, Postmodernity, Contemporaneity」、「須賀敦子全集」、「家守綺譚」、「ポー詩集」、「どくろ杯」…。「山のABC」はまたすぐに何処かへ行ってしまうような素振りを。


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‘Photography is less about representing than constructing its objects.’
(Thomas Demand)*1



 そうですね。彼がそう言ったのはとてもよく分かる話。ただ、前でも後でもない別の場合もあるし、最終的に知らない花の名前についてあれこれ思い浮かべるに終始する場合だってあるのかもしれません。そこを意識していないと、サッカーのことなのに右足についてのお話、左足についてお話、なんてことにもなってしまうかもしれません(有名なサッカーの例えより)。

*1: T. Demand quoted in N. Wakefield, ‘Sites unseen’, Art Review (Feb. 2005), pp. 65–9, p.69.