『新しい小説のために』






 わが国のアカデミックな批評家たちーそして彼らに追随する多くの読者たちーの考えているような物語形式は、ひとつの秩序をあらわしている。この秩序は、じじつ自然的と規定することができようが、これはある確固とした体系、合理主義的で組織的な体系と直結していて、その体系の開花が、ブルジョア階級の権力自覚の時期とぴったり照応するのである。あの十九世紀前半、すなわち、今日もなお多くの人間にとっては、小説の失われた楽園のごときものであることが十分納得がゆくひとつの説話形式の全盛ー『人間喜劇』をはじめとするーを見た十九世紀前半にあっては、いくつかの重要な確信が通用していた。とりわけ、事物を結ぶ公正で普遍的な論理に対する信頼が。



『新しい小説のために』ロブ=グリエ 平岡篤頼訳 新潮社(1967年)





 成立期の国民国家に於いて新聞の果たした役割、そして新聞小説について…、そんな話も思い出す。自然なものだと思われていること、浸透された制度や政治の自然な振る舞い。「everything is in its right place」?いや、然るべき場所がたった一つとは限らないはず。



 ロブ=グリエが50年前にこの本で示したような「未来の小説への道」を他のメディアに重ねて考えてみれば、それはもはや扱いやすい快楽でしかないようにも。まだ見ぬ方へ。見知ったと思われている場所での再考がそれとなることもあるはず。